気をおつけ、鏡の中には悪魔がいるんだ、夜中に…そう、鏡を合わせるとね…。

 

 

 

 

鏡の中のメフィストフェレス

 

 

 

 妹は、一人遊びが好きだった。いつも居間の鏡の前で座り込んで絵を描いている。時に、鏡に向かって何か語りかけるように。あれはいつだったか、雨の日だったと思う。その日も、妹は鏡に向かって一人遊びをしていた。公園で待ち合わせだと言って、揚々出かけて行き、戻って来ると、押し黙って絵を描き始めたのだ。妹があまり静かで、僕は本を読みながら少しうたた寝をしてしまったんだけれど、…気が付くと、描きかけの絵を残して、妹の姿が消えてしまったのだ。もちろん、僕は家中を探した。元々はヨーロッパからやってきた外国人一家が住んでいたという僕の家は、友達の家に比べると少し部屋数が多い、それでも、一周するのに30分もかかりはしない。靴もそのままだったし、妹お気に入りの赤い傘は、濡れたまま傘立てに立てられている。お父さんは出かけていたし、お母さんは少し買い物、と言って出て行った所で、家にいるのは僕と妹だけのはずだった。

 し…ん、と、静まり返った吹き抜けの階段で耳をそばだてても、聞こえてくるのは降り注ぐ雨の音だけ…、の、筈だった。

 かすかに、かすかに。妹の声がした。どこか遠くて、はっきりとは聞き取れない。だが、それは、会話しているようだった。僕は何だか少し恐ろしくなったんだけれども、声の聞こえて来る方をうかがいながら、足音を立てないように歩き出した。自分の鼓動が、ヘンに耳につく。自分の家の筈なのに、まるでホーンテッドマンションにいるような気がした。

「…もう、ダメなのよ、帰れないんだから」

「そんなのイヤ…」

 妹の泣く声がする。そこは、例の鏡のある居間で…。

「じゃあ、私の命をあげる、そうしたら、あっちに帰る事ができるから」

「…でもね、この命は、長くはもたないの、あなたが20才になる時には、消えてしまうから」

 …僕は、愕然とした。鏡の向こうに、妹がいる。妹と、もう一人、妹と、そっくりそのまま、同じ姿をした少女が。泣いている方が妹だ…優衣だ、と、不思議と確信して、僕は張り付くように鏡を覗き込んだ。

 あれは、今なんと言った?

 命、20才、…長くは、もたない…?

 こちらに背を向けた妹と、その向かいに立つ、妹と同じ姿の少女が、僕の方を見て、笑った。妹そっくりのあの顔が、あそこまで邪悪にゆがむのだと、僕の背筋に冷たいモノが走る。

 突然、雨の音が耳についたかと思うと、妹が、鏡の前で倒れていた。倒れている妹と、同じように倒れなくてはおかしい筈の、鏡の中のもう一人は、その、ビスクドールのように凍った笑顔をこちらに向けたままだった。僕は、そのまま視線を逸らす事ができなかった。

 

 

 

********

 僕が、再度鏡の中に潜む魔に出くわしたのは、両親を事故で亡くし、引き取られた親戚に連れられてやって来たアメリカでの出来事だった。

 既に、あの時の事を、夢だと思い始めていた僕は、我が目を疑わずにはいられなかった。鏡の悪魔は、今度は、妹の姿ではなく、僕自身の姿をとって現れたのだから。あの時同様、鏡の向こうから、僕へ冷ややかな視線を向ける。

「あの子は、もうじき20才だね」

 そう言って笑う。

 では、あの日の出来事は、夢ではなかったのか。

「…助けたい?妹を」

 そして、僕は、悪魔の差し伸べた腕をとる。託された13対のカードとデッキ。一番強い命がね、妹の命にとって変わるから、と悪魔が言う。

 13人の人間を、これから僕は死地へ向けさせる。その日から、僕は、鏡の中の住人に…なった。

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