闇夜の炎色反応

 

 

 

 

 

 ひゅるひゅると昇っていく音がしたかと思うと、今度は空気の振動する音がして閃光が水面を染めた。月もないので、闇色の空には鮮やかに大輪の花が咲き誇る。

「紅色は炭酸ストロンチウム」

「青色は酸化銅」

「銀色はアルミだ」

 花火の組成の講義を初めている彼の言葉をさえぎるように、日高由梨は言った。

「進藤ヒカルが手合いに復帰したようね」

 並んで歩いていた背の高い青年、岸本薫は一度由梨を見、そしてまた視線を空に泳がせた。再び上空に花が開き、薫の横顔に微妙な陰影をつけた。対岸で打ち上げられる花火は音と光がほぼ同時で、驚いた薫の心臓の音のように響く。

「…詳しいね」

 立ち止まり、それだけ言うと、薫は再び歩き出した。

「知らなかったわけじゃないでしょう? 私知ってるのよ、進藤が院生試験を受けたのは岸本君のおかげなんだって?」

 どうしていつもこんな話をしてしまうんだろう、と、由梨は思う。二人だけで会うのは既に初めてではない。しかし、由梨のせいなのか、薫のせいなのか、会話となると囲碁の話か、先ほどのように一方的に岸本が高説をたれるか、のどちらかで、いわゆる甘い雰囲気にはほど遠いのだ。中学時代の囲碁部の部長副部長なわけだから、囲碁の話になるのはやむをえないにしても…。花火大会の人ごみ。手くらい繋いでも…、と、思っても、自分から手をのばす気にはならなかったし、薫も由梨も、身のこなしは素早い方なので、意識的に歩調を合わせずともはぐれることが無い。またぞろ岸本の講義が始まりそうになったところを、由梨は『囲碁の話題』でさえぎったわけだ。

 碁の話になると立ち止まってくれるのよね…。

 そう、由梨は思いながら、買ったばかりの浴衣に対して何のコメントも聞かせてくれなかった薄情なボーイフレンドにため息をつきたくなった。

「進藤は塔矢を追っていっただけさ。別にオレが何かしなくても、いずれ進藤はヤツを追っただろう。…多少、時間に食い違いがでたろうけどね」

 無関心なフリをよそおっていても、岸本がほんの一瞬ではあったが部の後輩だった塔矢アキラと、その、自称ライバルである進藤ヒカルを気にかけているのを、由梨はよく知っている。だからこそ、しばらく手合いを休んでいた進藤が復帰した話をしようとしたはずだったのだ。

 よかったね、岸本君、心配してたもんね。

 そう、続けたかっただけなのに。

 並んで歩いていても、ひどく遠いところに薫がいるような気がして、由梨は不安になる。意を決して、岸本の腕をとろうと一歩踏み出した時、慣れないゲタに足がもつれて、不覚にもよろけたところを…、岸本の腕が受け止めた。

 触れた腕の温かさと、ちょうど由梨の耳元にある彼の心臓、その鼓動の早さに少し驚いて顔をあげると、夜目にも鮮やかな岸本薫その人の、赤く染まった顔があった。

「大丈夫か?」

 心持ち、声がうわずっているようにも聞こえる。

「うん!」

 元気良く答えて、そのまま由梨は薫の手をとる。少し面食らって、けれど、その手をふりほどくことはせずに、薫は踵を帰した。よく見ると、耳が赤い。

 二人は手を繋いだまま、花火大会の川辺を歩く。

 再び空に大輪の赤い花が咲いた。

(了)

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