ここはどこだろう、少なくとも家ではないはずだ。…そして、多分学校の保健室でも無い。体を動かそうと思ったけれど、頭がぼぉっとして、あちこちが痛く、思うように動けない、もぞもぞしていると、足音がして、誰かが千尋を覗き込んだ。
「良かった…気が付いたのね」
見知らぬ女性、しかし、ひとめで彼女の職業が分かった。よく見知った制服。…どうして、看護婦さんが?そう、思うと、再び千尋の意識は、混濁し、眠りに落ちていった。
再び千尋が目覚めると、枕もとには母がいて、泣きながら微笑んでいた。
どうしたんだろう、ああ…そうだ、女の子が、川に落ちて、私、助けようとして、川に飛び込んだんだ…。
母の手を借りて、上体を起こすと、小さい女の子を連れた女性が、何度も何度もお辞儀をしている。
「脳にいく酸素が極端に少なくなって、植物状態寸前だったのよ」
意識が回復するやいなや、怒ったように母が言う。本当に無茶をして!と、続けた母の手は、少しだけ震えていた。
では、あれは、夢だったのだろうか、…それとも、あの世とこの世の境であったのか…。
「ダメよ、こんなの、ノーカウントだよ…」
つっぷした毛布を包むカバーも、シーツ同様ノリが効いていて、冷たくて堅い。頬にあたって、少し痛かった。
「何か言った?」
と、問い掛ける母に、
「何でもない」
と、返し、千尋が視線を移すと、窓辺に無造作に置かれたお茶のアルミ缶に、あきらかに丈の合わないヒメジオンがさしてあった。
「お母さん…これ…」
「ああ、それ?どこから拾ってきたのか、あなた、それをずっと握っていたのよ」
ひとつだけ、花のもぎ取られたヒメジオン…。
じゃあ…あれは…。
「さあ、もう少し寝てなさい、まだ本調子じゃないんだから」
母の言葉に従い、堅いシーツに身を横たえると、薬の匂いに混じって、草の匂いがするような気がした。
「もう一度、…必ず」
それは、二度目の約束。
今度もきっと、守られるであろう約束…。
【了】