巫女を殺せ、
魂を汚せ、
四魂の玉の、
輝きを消せ…。
規則的な、ぴちゃぴちゃという水音と、苔類の匂い。岩と水との交じり合った、穴の奥深くで、湿気を孕んで土と同化しつつあるむしろの上に、男が一人眠っている。全身を巻く包帯は、血と泥とにまみれ、隙間から覗く肌は死人色。
生あるモノの気配さえおぼつかないその場所で、男の片方の瞳だけは、光彩を失わず、らんらんと岩壁を見つめていた。
うるさく響く、自身のかすれた呼吸にいらつきながら、男…夜盗・鬼蜘蛛は、女を待っている。両足の骨は折れ、全身は火傷に覆いつくされている。身動きひとつできないその身で、痛みをこらえて大きく息を吸い込んだ。いっそ死んだ方がどれほどか楽かはわからない。…だが、鬼蜘蛛は、今だ生へしがみつき、生き長らえようとしていた。
岩屋の戸口に影が差し、はたして女は現れた。手には水の入った桶を持っている。緋色の巫女袴に、長く艶やかな黒髪をひとつに束ね、声もかけずに男の横に腰を下ろす。
女は、無言のまま、男の包帯を解く。薄汚れた包帯の下から、醜く焼け爛れた皮膚が現れる。ためらわず、慣れた手つきで女は包帯を取り替えていき、膿を清拭していった。白い、女の手が、鬼蜘蛛の血と膿で穢れていく。包帯を巻くために女がその身を寄せると、甘い香気と、黒髪が、鬼蜘蛛をくすぐった。
喉から、鎖骨、白い衣に隠された柔らかな膨らみを間近に垣間見る。女は、鬼蜘蛛の邪な視線を意に介さず、介護を続けた。
手を伸ばせば、すぐ届く。なのに、鬼蜘蛛は、己の指一つ、動かすことができなかった。
許されるのは、目で追うだけ。
何百、何千回と、鬼蜘蛛は、女…桔梗を視線で犯しつづけた。
整えられた衣を裂き、その下にある白い肌をさらす。結わえられた髪をほどいて、広げる。おびえるとは思えなかった。桔梗は、鬼蜘蛛の傷にもたじろがない気丈な女であったので。
きつく睨み返す、神に仕える女を組み敷き、思う様嬲る事を、鬼蜘蛛は夢想した。
そうしたあさましい邪恋に、気が付いたのは小妖怪。
妖怪の一体が、動けない鬼蜘蛛の耳元で囁く。
「アノオンナガホシイカ?」
「ジユウナカラダガホシクハナイカ?」
一体、また一体と、現れてはケラケラと笑い出す。次々と集う異形を、別段恐ろしいとは思わず、鬼蜘蛛は答えた。
「ああ…欲しいね、桔梗も、桔梗を抱く屈強な体も」
「…ホントウニ?」
「…ホントウニ?」
動けない鬼蜘蛛には、岩屋からあふれんばかりに集まった妖怪をすべて見回すことはできなかった。
(見つけた、見つけた、いいもの見つけた)
(巫女を殺せ、)
(魂を汚せ、)
(こいつ、使える…)
既に痛みは無かった。鬼蜘蛛の腐りかけた体に、妖怪が群がり、その魂ごと。
…その魂ごと。
鬼蜘蛛の体は、妖怪の腹の中。鬼蜘蛛の心も、妖怪の腹の中。
いつかそれらはひとつになって、一人の半妖を生み出した。
こときれる寸前まで、鬼蜘蛛は、桔梗を求めつづけた。
そして、今も、妖怪の身の奥で、もだえ続けている。
…暗い岩戸で生まれた恋は、未だあやかしの闇の中…。
深い、深い、…奈落の、底。
(了)