すたすたと歩きだして千尋はぴたりとその場にしゃがみこんでしまった。
「…怒ってない、…ただ」
「ただ?」
笑いをこらえながら、うずくまる千尋を覗き込むハクに、『恥ずかしかっただけ』という言葉を飲み込んで、千尋は黙ってそのままうずくまる。
「くびちょーんぱっ!」
ヒメジオンの花が、ハクの顔眉間にぶつかった。
千尋の手には、いまだ多くの花を残したヒメジオンが残る。
「な…っ」
驚いてハクが絶句する。
「お返しっ!」
そう言って、ハクを尻目に、千尋は立ち上がり、そのまま逃げるように走り出した。
「ちーひーろーーーーーっ!!」
子犬同士が戯れあうように、千尋とハクが、野原でじゃれ合う。二人でシロツメクサで花冠を編み、存外不器用なハクに、千尋は大喜びで笑い転げ、憮然としたハクをまたなだめる。広い広い野原には、ハクと千尋の他には誰もおらず、長い、長い時が過ぎていく…。
変らずに、太陽は天頂にあり、空には雲一つ無い。遊びつかれて転寝をして、目がさめて、まったく過ぎない時間に、流石に千尋が不安になった。楽しい時間、それこそ、永遠に続いて欲しい、とさえ、思ったのに…。
「さあ、そろそろ時間かな」
すっと立ち上がり、ハクは中空を凝視して、千尋の方を見ない。
「時間?…時間って?」
ハクの言葉を否定するように千尋がハクにすがった。
「千尋も、既に気づいているのだろう?」
そう言うと、ハクは先ほどまではうってかわって、ひどく、…ひどくさびしそうな瞳で千尋を見つめた。
「ここは、時間の流れが異なることに…」
「イヤっ!」
あわてて千尋がハクの言葉を遮った。
「だって…やっと会えたのに、いやだよ、ハク、もう、離れたくないっ…」
すると、ついいましがたまで天頂にあった太陽が、またたくまに傾き、空の色は、青から茜へ、そして、太陽の変りに月が昇り、満ちた月の光が、青白い影を落とした。晧晧と照り、先ほどの晴天を、濃紺に染め上げる。
「そう、だから、もう一度約束しよう、また、会えるから」
「イヤッ!!」
「…聞き分けておくれ、千尋」
それは、搾り出すような声だった。
そうしないと、今度は連れて行きたくなってしまうから…、という言葉を、すんででハクは飲み込んだ。
「約束する、次も、また、…きっと」
「…本当に?」
「ああ、本当に」
そう言って、ハクが薄く笑うと、千尋は一瞬で水の流れに巻き込まれ、掻き消えるように姿を消した。たった一人になってしまったハクは、月を見上げ、つぶやいた。
「そう、もう一度…必ず…」
見上げた瞳は、髪に隠れ、かすかに月明かりを反射して、一滴を照り返した。